左精巣腫瘍・ステージ3・リンパ節転移・非セミノーマ悪性腫瘍・悪夢でした。

お世話になりました。

康介と写真

RayShade : Mr Nakagawa.
DreamRoses : Mr Yamano.
Vouvray : Mrs Nakagawa
HartLand : Mr Sakamoto.& Maeda.
Denzosha : Mr Maekawa.
TsurugaKagucenter : Mr Kitaura. & Mrs Kitaura.
YamagutiHaruhusaEizoJimusyo : Mr Yamaguti.
Pan : Mr Nishio.
Feel : Mr Okuno.
Interactive Design Office : Mr Ibuki.& Mrs Ibuki.
Fild : Mr Nakata.
Sponge : Mr Shiraki.& Mrs Shiraki.
Thater@Men'sWorks : Mr Kotobuki.
PuerEnterPraise : Mr Murase.
Gyobuso : MrGyobu.&MrsGyobu.
Jib : Ms Imai.
Sgi : Mr Amada.&Mrs Amada.&Mr Fujita.
Utidaya : Mr Takamatsu.
Mr Sano.
Ms Sakata.
Mrs Sakamoto
FukuiNisekiHosPtal : Doctor.&Nurse.
My Family

1999年梅雨前5月3日長女桃子敦賀市立病院にて産まれる

桃子誕生ジンツウ室で出産を待つが、辛くてしんどくて、立ってられず、救急で点滴を打ってもらう。点滴を打っている間に桃子が産まれた。産まれたばかりの桃子を点滴をしているため抱けない。

れから1ヶ月半経つ。
左の睾丸が異常にはれ上がる。たまらず町の泌尿器科へ行った。診察の結果恐らくオデキではないか『なぜもっと早く診察にこなかったのか。』....と言われたが後の祭り。ここでは手に負えないので福井赤十字病院に行ってくれと紹介される。

折しもその時期、敦賀ではきらめき敦賀みなと博という博覧会を夏に控え、その準備に負われていた。
私も例外でわなく、シコシコと港と電車のコンピューターグラフィクスをRayShadeさんと一緒に製作中で『一応病院に行って来るけれど たぶん大丈夫だろう』とタカをくくってすぐ帰るつもりで、仕事場を出る前に3DアニメーションのレンダリングをON。

そして福井日赤病院へ
エコーを撮って診察。Doctorの言うには、『恐らく左の睾丸に腫瘍が出来ているので即手術しますので家族の人を呼んで下さい。』とのこと。また、『この癌は、爆発的に進行しますので、手術後すぐに抗癌剤の治療をします。恐らく3クールぐらいだと思います。かなり治療は辛いので頑張って下さい。』と言われたがあたまがボーっ!!として何か判らないうちに皆に連絡。レンダリング中のデータがそろそろ出来上がる時間なので、その事をRayshadeさんに伝え家に勝手にあがってもらいデータを拾ってもらうことに。

待ち合いでずーっと待っていました。頭が真っ白で恐怖感とか全くなく。と言うより何がおこっているのかが判らなかった。
手術台の空くのと、嫁さんを待ちながら、陰毛を剃ってもらうが看護婦さんが余に睾丸がはれているのでビビリながら剃っていた。

嫁さんと一緒に再度病名の説明と手術と入院の説明とを聞き、手術の同意書にサインとハンコ。手術室に入る道すがら、嫁さんが何がなんだか判らなく、気が動転していたので肩を”バシッ”と叩いて『しっかりせ~!』と怒鳴った。
手術は、半身麻酔で行われた。

『なんじゃこりゃ!意識あるやないか。』
手術中の先生と助手と看護婦さんのやり取りも全て聞こえる。手術よりそちらの方が恐かったりした。

手術終了後左睾丸を見せてもらい驚いた。自分の睾丸が、握りこぶし以上の大きさになっているではないか。手術室から出て来て奥さんが一番にのぞきに来た。その後ろに、
Rayshadeの中川さんと山野さんが駆け付け嫁さんと一緒に待っていてくれた。後に嫁さんはその時の二人程心強い者はなかった。と感謝をしていた。本当に有り難うございました。

それから2クールの抗癌剤治療1クールが5日間、1日に5種類の抗癌剤とそれを補足する7本の点滴治療。地獄の始まりでした。

でも、色々な人が見舞いに来てくれ、話をしにグチを言いに、わらかしに、一人でいるとたまらなくなってくるので、こうした笑かしに来てくれたり、お笑いの本だとかを買って来てくれる事が一番気が紛れた。

2クールめから髪の毛が抜けはじめた。ある日お風呂に入っていたらいくら頭を洗ってもどんどん、どんどん何か汚れが落ちてくる。いくら洗ってもどんどん、どんどんおちてくる。ふっと両手を見ると抜け落ちた髪の毛の束少しショックだったがちょうど奥さんが来ていたのでバリカンでツルッパゲにしてもらった。看護婦さんも潔すぎてビックリしていた。

2クールの抗癌剤を終え、腹部と胸部のレントゲン。CTスキャナ。M.R.I。血液検査

悔しい!人前でむちゃくちゃに泣きまし・・・。涙が止まらんかった。

検査の結果、腹部リンパ節に癌細胞が転移してるとのこと。『年令も若いし成長の早い癌細胞なので、体調が落ち着き次第再手術します。』とのこと。

手術の前日に背中から背骨に向けて手術後の痛み止めのための麻酔の針をさす。非常に恐く非常に辛い処置だった。その夜背中がちくちく痛くて痛くて眠れなかった。つぎの日手術前に安定剤を注射手術室につくまでに記憶がなくなる。気がつけば何か意識もうろうとしながら『痛い痛い。』と叫んでいたらしい。何人かお見舞いに来てくれていた人に、『ありがとうありがとう。』と御礼を言いながら『痛い痛い。』と叫んでいたらしい。『お好み焼きが食べたい。』とい言いながら『痛い痛い。』と叫んでいたらしい。こんな中お好み焼きが食べたいとはどう言う事なのか。

麻酔が切れ、目がさめて、しばらくすると手術した所よりも、背中にさしている麻酔の管の方が痛くなって来た。看護婦さんに布でドーナッツみたいなのを作ってもらって患部に当てた少しましになった。

腕には点滴。首には栄養剤剤の点滴。お腹にはドレンパイプ。背中には痛み止めのパイプ。そして、またにはオムツ。どない考えてもサイボーグ状態。食事は重湯から始まり、徐々に固形物へ。ものを食べ出すとうれしいが、今度はうんちの悩みが出てくる。おむつの中ですると非常に気持ち悪い。またそれを自分では拭けないので看護婦さんを呼ぶ。こんな事を言って入られないのだが非常に恥ずかしい。また、ありがたくもある。

日にちが経ち、身体に刺さっている点滴や管やドレンパイプが一つ一つ抜けて行く。
全て抜かれて少し楽になった。

先生が回診に来た。その時の話で、『リンパ節に転移していた細胞を調べた結果この癌細胞が非セミノーマである事が判りました。このまま今までの抗癌剤治療を続けても、これ以上この癌細胞は無くなりませんので、次からはもう少し違った薬で治療しましょう。今までの薬よりも少しきついです。』
負けてたまるかと。『宜しくお願いします。』と頼む。

新しい抗癌剤治療のスタート。

前にも増して100倍程辛い。お見舞いに来てくれた人の相手も出来ない。前よりも胸焼けが辛い。薬がきつくて、日に最低一本は静脈炎で点滴の針を差し換えなければいけない。

静脈炎をおこす時が強烈に激痛が走る。その度に、涙が出てくる。辛い。あまりに辛くて食事がのどを通らない。食事を運んでくるワゴンの音がするだけで、吐き気がし始める。

1日に何回も嘔吐をする。そんな治療も3クール目が終わった。ここで治療が終わると思っていた。予定の3クール目だった。

担当医に訪ねた。答えは、今回除きあと2回します。今回で終わると信じていたので、衝撃が脳みそをかき回した。看護婦と先生の前で声を出して大泣きをしてしまった。

先生に言われた。

『治らない物ならここまで辛い事はしない。必ず治るから、辛くても我慢してくれ。ここまで頑張ったんだからもい少し頑張ってくれ。後々やっぱりあの時もう少し頑張ってやっていれば良かったと思わないように今やっておこう。叩けるだけ癌細胞を叩いておきたいんだ。』

と言われ無理矢理自分にも納得させた......。先生が部屋を出て行った後にも、恐怖で次から次から涙が出てくる。嗚咽と一緒に涙が出てくる。その時担当してくれた看護婦さんに抱き着きながら泣いた。『頑張りましょ、頑張りましょ。』とずっと言いつずけてくれた。その時の自分には凄く有難かった。

治療が始まった。前よりも辛い。前よりも痛い。前よりも苦しい。日を増すごとに辛く苦しくなってくる。赤血球が下がる。白血球が下がる。血小板が下がる。輸血が始まる。蕁麻疹が出る。熱が上がる。抗癌剤治療意外の治療も辛い。

そんなこんなで、6月21日から、退院の12月8日までの約半年で、抗癌剤合計5クール、手術2回の治療で、無事退院できました。辛いとは言え、なんとかかんとかすれば、癌は治るものだと実感しました。

こんな事を乗り越えたのだから、少々の事は何でもないのではないかと思いました。

何よりもありがとうございました。

こうして、僕が自分の子供達と、嫁さんと自分の家族と再開出来たのも何よりも、皆さんの応援、励まし、激励の他の何ものでもありません。
本当にありがとうございました。
忙しい中、何回も足を運んで下さった人達。
僕がグッタリしている時に笑かしに来てくれた人達。
食事がとれない時に、弁当やファーストフードの差し入れをわざわざしてくれた人達。
病院と言う閉ざされた部屋の中に、MACや、CGの情報を入れに来てくれた人達。
手術の時に忙しい中、駆けつけてくれた人達。
電子メールという方法で、ずっと応援し続けてくれた人達。
大阪からわざわざ何回も足を運んでくれた人達。
同じ部屋に入院していながら、自分の娘と同じ境遇だと涙してくれた人達。
同じ部屋で、励まし続けてくれた人達。
本当にありがとうございました。
そして、毎日毎日どんな時も励まし続けて下さり、辛い時には赤の他人なのにも関わらず、一緒に泣てくれた事もあった看護婦さん達。
辛い治療を続けるために、独り憎まれ役に徹して下さった、担当のDoctor. 本当に今回の事で関わってくれ、御迷惑と御心配とを、おかけしました人達へ、心からお詫びと、御礼を申し上げます。
本当に、すみませんでした。本当に、ありがとうございました。
これからは、以前以上に元気にやって行きますので、宜しくお願い致します。
この、ホームページをお借りしまして。
乱文ながら、御自愛専一に。

2000年1月26日

入院日記

1999年 6/21月

福井赤十字病院、診察に時にキンタマの癌の疑い 『即手術をするので家族を呼んでくれ。』とのこと。 家に電話、義父が出る。説明の時に崩れそうになるが、なんとか持ち直す。恵(嫁さん)にすぐ来てくれと、それから、手術。下半身の力が抜けて行く。 手術が終わり、キンタマを見せてもらいビックリ。 握りこぶし大の大きさ。手術室外へ出る。中川氏と、山ちゃんが来てた、また毒舌を吐く。うん、この調子この調子。 嫁さん一人だと耐えられなかったので、これには感謝感謝。

6/22火

この日は検査無し。 傷口痛む。担当の看護婦林さんは、非常に明るい。勇気付けられる。恵が来た、これからの事だの、傷口の事だの色々話した。 恵の前では弱い顔は見せられないガンバらねば。

6/23水

傷口だいぶまし。
心電図、CTスキャンこれは、HITACHI製のCTやった。自分が大阪でデザインしていた機械に自分がこんな形でかかるとは思わんかった。ガンバらな。しかし、身内が来ない方がいい。(落ち込む)

6/24木

恵と、康介が2:30~3:00頃に来ると言っていたがまだ来ない。
2:00に先生から話が有ると言われる。
家族が来てから話をするとのこと。
恵4:00になっても来ない。先生に時間が無いと言うので、一人で先生の説明を聞く。
『癌細胞が左睾丸だけでは無く、腹部リンパ節にも転移しているので一刻の有余も無い。また、精巣癌には良性腫瘍は無く悪性のものしかない。その悪性腫瘍の中でも2種類のセミノーマと、非セミノーマと言うのが有り、セミノーマだったら、まだ、悪性度も弱かったのですが、あなたのは、最も悪性度の強い、非セミノーマです。
時間が無く爆発的に癌細胞が広がって来ると予想されるので、手術が終わってまだ時間も経っていませんが、明日から化学治療始めます。かなり辛いものとなるので、最後まで絶対に諦めないで治療を受けて下さい。』
大丈夫だと、自分に言い聞かせる。
5:00頃恵が、義父 義母 康介 桃子らと一緒に病院につく。
先生からの話を僕が家族に話す。
ドラマだと、部屋の外に家族を呼んで、『実は、』で始まるのだが、現実は、自分で、『実は、』と言っていた。

6/25金

今日から化学治療の開始。
どんなのか不安。治療が始まるまでに、水分(ポカリスエット)を500mlのむ。am9:30点滴開始、生理食塩水500mlを、30分で落す。それを2本全快である。血流を良くする点滴を1本、その横から利尿剤を注射器で注入。その後小さいボトルの吐き気止め、そして、生理食塩水に、抗癌剤をまぜた点滴500ml4本を、一気に点滴。その後、また、利尿剤、吐き気止め、生理食塩水等等、合計12本の点滴。終了したのは、21:30頃。しかし、点滴を考えられない程のスピードで行っているので、オシッコが良く出る。点滴しているのが嫌なだけで特に何とも無い。これが、化学治療かって感じ。ま~ど~ちゅ~事ない。と、たかをくくる。
担当の看護婦林さん、9月に結婚式だと言う、おめでとさん。
康介の写真をジッと見る。ガンバらな!

6/26土

昨晩はあまり寝れなかった。点滴が終わった後の針(ルート)を残してあるので気になって。
am9:00から2回目の化学治療始まる。
少し、今日は凹んでる。向いの部屋の御老人が亡くなった。
15:00まで、恵と康介を伯母の、よしこさんが連れて来ていてくれた。帰ったから発熱。40℃近く熱が有る、辛い。座薬を入れて1時間程で少し下がった。電気毛布が無いと寒くて寝れない。
看護婦さん達や皆に世話になって本当に有難い。
絶対に生きな、生きる。生かされる。

6/27日

治療3日目
先生から話が有ると言うので、実父哲夫と、恵が、朝早くから病院に来ていた、先生からの話は、以前僕に話をしたのを家族に一応話したもの。
少しすると、よしこさんが、旦那の孝司さんとで康介を連れて来てくれた。この人は何と気のきくひとなんや。
昼前に兄の朗が来た。
顔が引きつっていた。しばらくすると落ち着いたみたい。マンガの本だの何だのと買い物を頼んだら買って来てくれた。いつも喧嘩ばっかりしていてこんな事は初めてだ。
しばらく話したら、父と一緒に帰った。
夕方ボ~としていると、佐野さんと、山ちゃんが来てくれた。
見舞いに来た人間に、バカ話しと、毒舌を吐いてやった。

6/28月

治療4日目
1日特に何も無く過ぎる。こういう時が一番辛い。胸焼けの言葉かりを考えてしまう。食事も少し箸をつけるだけ。
18:30中川さんの奥さん亜矢子さん、アッコさん、オクちゃんのうるさい女3人組が、見舞いに来てくれた。
1日凹んでいたので、たすかった。
20:30位までバカッ話をして喋りまくったった。こうしている時が一番気が落ち着く。

6/29火
化学治療5日目1クール最終日。
今日で1クールめの治療終わりしかし辛い。
食事を運んでくる台車の音がするだけで吐き気がする。
今日担当の看護婦の中田さんメチャクチャに明るい、この子のおかげで、かなり気がまぎれる。
中田さんにテンプラうどんを注文してと頼む、半分食べた、うまかった。
夜は食事は吐き気のため食べられず。
恵が15:00すぎに来て、フルーツを切ってくれた。少し食べれた桃が上手かった。
明日からもガンバらなまだ日は長い。

6/30水

化学治療は終わった。
今日は点滴水分補給と、利尿のため4本のみ。だが、御飯は相変わらず食べられない。御飯を運ぶ台車の音がするだけで、吐き気がする。
お昼に下の食堂でカレーを食べたまずかったけど、ソースをドバーっとかけたらなんとか食べれた。

7/7水

今日は七夕。
am7:00から、おしっこを採ってくれと起こされた。
朝御飯は菓子パン2つ。
am9:30にお風呂に入った。
頭を洗うと大量に髪の毛が抜けはじめた。手ぐしを入れるとボソっと抜ける。ビックリした。
昼飯に食堂でまずいラーメンを食べた。
部屋へ帰ると、RayShade中川さんが待っていてくれた。屋上で1時間程しゃべった。
帰ると今度は、HartLand坂本さんと、前田君が来てくれた。
恵に手紙を書いていると、ボンさんの、小川さんが、メロンを持って見舞いに来てくれた。この人も依然にこの病院にかかっていたらしい。
晩御飯は、太巻きとポテトサラダを屋上で食べた。
ウーンまずい。

7月にクール抗癌剤治療有り。 辛くて日記書けず。

8/18水

外泊許可が出て、家に帰る。
康介と桃子と、もっと遊びたいが、疲れたのであまり遊べない。

8/19木

2日目で恵とやっと2人っきりになる。時間がもっと欲しかったが、義妹のかおりちゃんと、花奈ちゃんが家に来て、なかなか2人の時間が出来なかった。

8/22日

2度目の手術のための前処置で、脊髄に背中から麻酔の管をさす。
後ろが見えないので、恐怖と、痛さで、わきの下から脂汗がポタポタとちる。これが正真正銘の冷や汗か。しかし、強烈にいたい。

8/23月

2回め手術。
12:00に安定剤を注射、13:00から手術。
安定剤を注射の後、手術室に着くまでに眠っていたらしい。
16:00頃目が覚める。
痛い痛いと言っていたらしい。麻酔が切れたのか、実母、恵、よしこさん、が朝から来てた。気がつくと(うっすらとした気持ち)はしかめのおじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃんが来てくれてた。『痛い痛い』と言いながら、『ありがとう、ありがとう』『お好み焼き食べたい』言っていたらしい。
これはうっすらと覚えている。記憶の中では、なぜか皆を心配かけんとこと笑かそうと思っていた。
お袋が1泊する。夜中に大便を二回自分ではとれない看護婦さんに取ってもらう。背中が痛い。

8/24火

背中が痛い。
首から栄養剤の管。背中に、麻酔の管。尿道に排尿の管。お腹にドレンパイプ。腕に点滴。お尻にはおむつ。ベッドから下りられない。
トイレが出来ないので、おむつをする。首の管がうっとうしい。
夜中に大便を3回。

8/25水

背中が痛い。
大阪からいつもメ-ルと電話で励まし続けてくれてた、オックンが、肺結核で入院。今どき肺結核?と思ったが、結核非常事態宣言が出る程、結核が流行っているらしい。ショック!!

8/26木

背中の管抜く。
背中がスッキリする。
ベッドから下りて、ベッドの周りのみウロウロ出来る。トイレはポータブル。いわゆるオマル。

8/27金

康介が風の為、恵来れず。
お腹のドレンパイプ外れる。

8/28土

首の管と、尿道の管はずれる。スッキリ!!

8/29日

恵がくる予定だったが、今度は恵がダウン。

8/30月

病院で迎える34回めの誕生日看護婦さんが誰も来られないんですか?としきりに聞く。
山ちゃんが誕生日プレゼント(CD)を持って来てくれた。顔に似合わずいつも気の利いて優しい人だ。
恵がくる予定だったが、又康介が熱が出たのでダウン。恵来れない。

9/3

お腹の抜糸半分する。

9/4

全抜糸。
ヨシ子さんがまた、恵を連れて来てくれた。牛鍋パンを買って来てくれた。上手かった。

9/5

白木夫婦が恵、康介、桃子を車で連れて来てくれた。
お昼をひさしぶりに4人で弁当を食べる。なんでも無いお弁当やけども、うまかった。
恵が帰った後に、実母が来た。阪神百貨店のイカ焼きを買って来てくれた。4枚も食べた。焼立てやったらもっとうまいんやろな~
白木君がハンバ-ガ-を買って来てくれた。
この日の食事は大満足。
お風呂にも入った。

9/6

担当の三原先生の話を聞きに、家族全員が病院に来たビ-フシチューを持って来てくれた。康介と遊びに行きたい。
午前中にお風呂に入ってさっぱり。

9/7

午後からお風呂に入った。
射精障害のテストをした。やっぱり射精障害が出てる。精子が前に飛ばない。膀胱の方に出るらしい。感覚はちゃんとある、少し安心。食欲がだいぶ戻って来たのに、明日からまた、抗癌剤開始、絶対にまけるか!負けてたまるか!!

9/8

抗癌剤3ク-ル目開始。今回から前よりもかなり強い抗癌剤になる。

9/12まで。あんまり辛いんで日記がかけない。

10/8

抗癌剤4ク-ル目。
薬がきつい、血管1つ潰れる。

10/9

血管1つ潰れる。

10/10

結婚記念日。
血管2つ潰れる。

10/11

昨晩血管が痛いので抜いてもらうよう頼んだが、隣の患者さんが呼吸困難で皆先生も看護婦さんもバタバタしてて、17:00頃に頼んでやっと、20:00くらいに針を差し替えてもらう。このあと、1週間ぐらい手首が痛かった。この日血管2つ潰れる。
抗癌剤終了。

10/12

点滴のみ残る。10/16まで。
尿道管抜く。

10/15

血小板が下がる。この日よりクリーンルーム。

10/16

血小板輸血。ジンマシンが体中広がる。血小板輸血の副作用。血小板輸血の時、B型の血小板を輸血された。僕は、O型だ。血小板は特に問題ないらしい。赤血球だったらと思うと、ゾッとする。血液内科の先生とかが来て謝罪していった。

10/24

胃に激痛走る!!

10/25

胃カメラ、エコー、レントゲン、ついでにCTスキャン。
胃潰瘍と診断される。

10/26

クリ-ンル-ム解除。
赤血球輸血4単位。

11/1

三原先生が来て、外泊許可。11/3~11/7まで、長期外泊。

11/3

外泊1日目。カキフライを食べる。うますぎて、カキフライ2人前と御飯お代りしたら、皆ビックリしてた。

11/4

この日は、肉をたらふく喰った。

11/5

この日は好物のサンマを食べた。ンまい。!!

11/7

外泊最終日。
恵と康介と僕をを洋子ちゃんが病院まで送ってくれた。別れ際、康介と恵の顔を見ると涙が出て来た。
はよ退院せな。
はよ父親に戻らな。

11/9

抗癌剤5ク-ル目最終ク-ル。
絶対負けへんぞ!
絶対負けへんぞ!
絶対負けへんぞ!
絶対負けへんぞ!
絶対負けへんぞ!

この間抗癌剤の強烈さで血管がいくつかまた潰れ、吐き気めまい等で日記所の騒ぎではありませんでした。

12/3から、12/5まで、外泊許可これが最後の外泊。早家にかいりたい。

12/6

早朝より血液検査。午後からレントゲン。先生にそれとなく、なんにも無かったら、病院にいてたら食事とかもとれんし、精神安定上よく無いので、退院させてなとたのむ。

12/7

検査の結果検討した結果、いつ退院しますか?解きかれ、『あした』と即答。『それじゃその手続きをしておきます。』と即許可。なんか呆気無い。
うれしくて泣くかと思っていたが呆気無い。

12/8

晴れて退院。中川さんに無理を言って頼む。
なんか今までの入院が嘘みたいに病院を出て、呆気無く、家について、ごく普通の生活に戻って行くのか。
『うん。これでいいのだ!』

1/31

その後、正月前に、康介、桃子、恵が熱を出し、自分が看病する。
僕も少し熱が出たが大した事は無っかった。
正月明けてから、康介が水疱瘡、恵、インフルエンザ、桃子も、インフルエンザ。この3人をまた僕が看病する。
僕は、未だ癌再発無し。
血液成分、低下無し。
髪の毛生えはじめる。
まゆげ完全にのびた。
まつげ完全にのびた。
鼻毛完全にのびた。
ひげ1回剃った。
手先足先のしびれ、未だとれず。

これからも、つづく。

Thanks.はげ